埴生雅章 Masaaki Hanyu

埴生 雅章 (ハニュウ マサアキ)  

●作品タイトル  シナトの風に  [To the Wind from SHINATO]

SHINATO : divine air outlet

●「サイトと野生」展に関わるコメント
風を見るしかけとしての布の造形。
天地の境に位置するこの場所(サイト)。ここを通り過ぎていく大気の流れが造形の主体です。
あとは風に任せて、千変万化する布の様相(風景)を観察し、大気に潜むものの姿を垣間見たいものです。
(作品タイトルにある「シナト」は古代の日本語で、「風神の司る風の吹き出し口」)





●活動略歴
・美術展(インスタレーション)
2012 空間造形展アートフィールド2012in埴生八幡林(小矢部市)
2014 空間造形展アートフィールド2014[クロスランドおやべ](小矢部市)
・美術展(水絵)
1974 富山県展入選
1986, 1989 公募:日本海美術展入選
1987 水彩連盟展入選
1987 モダンアート展入選
1988 砺波野美術展出品
2010, 2013 富山県展奨励賞
2013 太閤山ビエンナーレ2013出品
・個展(水絵)
1984 富山県民会館(富山市)
1991 小矢部市総合会館(小矢部市)
2010 クロスランドおやべ(小矢部市)
2012 インフォームギャラリー(金沢市)


『サイトと野性』をめぐって
2014.9.27 埴生雅章

今回の展覧会『サイトと野性』展に『シナトの風に』と題した作品を出品させてもらっている。
この作品の制作にあたって考えたのは次のようなことである。
・「風布」…野外に布。自然の風に感応して動く。見えない風が見える
・「現象」…シンプルな白布。風や光や雨などによって多彩な表情が生成
・「空間」…竹の柱とロープで空中に掲げる。その形と配置は現場で考える

現場で考えるとは、地面や建物、周辺環境、風向きなどの状況をよく見るということである。与えられた場所にどのような形の作品をどう配置するか。その場にふさわしい作品の形態と配置が課題となる。
私は公園の計画設計の仕事に長くかかわってきたが、造園(ランドスケープデザイン)にあたって大事なのは、現場をよく見てその場所の特質をつかむ、それを活かすということである。活かしながら作ることでその場所ならではのものが生まれる。このことは、美術の場合も基本的には同じではなかろうか

現代の美術作品は実に多様なスタイルに分化してきているが、作品が野外に置かれることが多くなってきていることも現代美術の傾向の一つである。
野外に置かれる作品の場合、場所の空間と作品のスタイルには切っても切れない関係がある。場所が作品を生み出し、作品によって場所も変わる。場所と作品との相互作用とでもいうべきものがある。作品と場所は深い関係で結ばれるのである。
このことは2年前に実施した「空間造形展2012in埴生八幡林」で体験したところである。そこでは歴史の空間と現代の芸術が複合し、他にない空間が実現したことを体感した。作品は場所とともに新しい空間を創出するといえる。

野外には、室内の展示空間にはない空間・環境の広がりがある。空・地面、水・緑といった自然的要素と、建物・道・様々な工作物など人工的要素からなる環境の中に作品は置かれる。
作品の周囲の環境は常に変化し続ける。時の推移とともに日照や風・雨などの気象が変化し、これに応じて作品も休みなく変化する。
室内の展示空間と異なり、コントロールできない自然がそこにはある。このコントロールできないものをどう考えるのか、どう扱うかによって作品の性格、スタイルが変わってくる。

私は、作品はその場所を活かすことに加え、その場所に起きる現象を活かすことが大切ではないかと考えている。自分の作品をそこに置くだけではなく、自分がつくった造形とその場に生起してくる現象とが重なり合ってできてくるものを作品と呼びたいと思う。自分の個性を表現する作品というよりは、自然の力が立ち現われてくる作品。自分が求めているのはそのようなものだと思う。
このような造形の課題は、その場所に存在する自然の力―「野性」―をどう表わすかいうことになる。そのためには、自分はなるべく作らず、自然に作ってもらうという姿勢が肝要だろう。つまりは、あなたまかせ、大自然にまかせる造形ということになる。しかし、しかけはつくるのであるから、そのつくり方が大事である。今回の場合は、優しい微風にも感応し、激しい嵐にも耐えられるしかけが求められると考えた。

展覧会の名前『「サイトと野性」展』は、自分に対しまことに意味深い問いかけをしているように感じる。
作品を構想している時は、これは風の神に捧げるのだという気持だった。俵屋宗達の『風神雷神図屏風』が頭から離れなかった。
天地の間に位置するこの場所(サイト)。ここを通り過ぎていく大気の流れが造形の主なのである。

 [補足] サイトとシナトについて
今回の展覧会の名前にあるサイトは、英語ではsite。日本語にテントサイト、ウェブサイトなど外来語(カタカナ語)として取り込まれている。サイトを単独で使うことはまだ少ないが、日本語の用地や敷地という言葉にあたり、何かを設けるための場所という意味である。
美術作品が置かれる土地もサイトと呼ばれる。現代アートの用語としてサイト・スペシフィック(site-specific)という言葉も使われるようになってきている。その意味は「置かれる場所の特性を活かした作品、あるいはその性質、方法」ということである。
なお、与えられた土地に土木・建築・造園を施し、施設を適切に配置する計画はサイト・プランニング(日本語では敷地計画)と呼ばれている。
一方、作品の名にあるシナト(シナドともいう)は日本語の古語である。シナトは「シのト」で、シは風を、トは場所(出入り口)を表わす。大風のことをアラシといい、日本の風の神様の名はシナツヒコとかシナトベノカミという名で呼ばれる。シナトは漢字では科戸あるいは級長戸と書く。シナトの風とは、風神の司る風の吹き出し口から吹いてくる風である。大祓詞(おほはらへのことば)という古い祝詞(のりと)に「科戸の風の天の八重雲を吹き放つことの如く」とあり、この世の罪穢れを吹き払う風でもある。

Doris Salcedo

WebでDoris Salcedo を見付けました。今年のヒロシマ賞の作家で、今受賞記念展が開催されています。

広島市現代美術館のサイトより
世界最初の被爆地である広島市は、世界の恒久平和と人類の繁栄を願う「ヒロシマの心」を美術を通して世界へ訴えることを目的とし、1989年にヒロシマ賞を創設しました。広島市現代美術館では、その第9回ヒロシマ賞の受賞者となったドリス・サルセドの受賞記念展を開催します。1958年にコロンビアの首都ボゴタに生まれたドリス・サルセドは、自国コロンビアをはじめ、世界で横行する暴力や差別などに対して、芸術が強い抵抗の力を持ち得ることを一貫して示してきた作家です。日本で初めての展覧会となる本展で、サルセドは展示室全体を死者を悼むための場に変容させながら、再生への願いを込めた作品を展示します。

私は、テートモダンでの個展で発表されたタービンホールの床を割った作品がすごいと思いました。
http://www.fogless.net/artreview/071008_tm_ds/salcedo.html





Doris Salcedo, Shibboleth, 2007
The Unilever Series, Turbine Hall, Tate Modern

加賀谷武 Takeshi Kagaya

YouTubeで加賀谷さんの作品を紹介するサイトを見付けました。リンクを張らせていただきます。
https://www.youtube.com/watch?v=c11V4GXjqbU
https://www.youtube.com/watch?v=e1S7QgjLWdQ
「サイトと野性」展にて。ギャラリー湯山の周囲の空間での展示風景です。



加賀谷 武 画歴

1932年 富山県小矢部市生まれ

1955年 金沢美術工芸大学工芸科専攻科修了

2002年 紺綬褒章授与
主な展覧会
1954年、’55、’56、’57、’58、’59二科展・九室会(東京都美術館
1956年 一・一会結成(東京菊水画廊)
1957年 北陸二科展結成(金沢大和百貨店)

1967年 国際青年美術家展(日米)優秀賞(東京西部百貨店)
        
    第8回現代日本美術展(東京都美術館)

    5人の現代日本美術家展 文化フォーラム主催(パリ・G.ランベール)

1978年 北日本美術賞展 北日本美術賞高岡市美術館)

1981年、’84、’86、’88、’91 富山の美術招待(富山県立近代美術館

1985年 練馬区立美術館開館記念展(練馬区立美術館)

1986年 空間を造形しよう展(練馬区立美術館)

1987年 ねりまの美術’87(練馬区立美術館)

1990年 現代美術の流れ(富山県立近代美術館

1998年 加賀谷武 川井昭夫 展(砺波市美術館ギャラリー)

1999年 日本・オーストリア現代美術交流展(ウィーン、ハウスビットゲンシュタイン美術館)

2009年 第12回文化庁メディア芸術祭・アート部門 静止画(東京国立新美術館)(2010年、第13回)
個展

1964年、’65、’66、’67 サトウ画廊(東京)

1965年 内科画廊

1967年 富山県民会館美術館ギャラリー(富山)
1980年 富山県民会館美術館(富山)

1982年 村松画廊(東京)
1990年 ギャラリーNOW(富山)
1995年、’97、’98 ギャラリーフレスカ(東京)
1999年 ウィーン、ハウスビットゲンシュタイン美術館(オーストリア
2000年 ベルリン、クンストラハウスベタニエン美術館(ドイツ)

     富山県民会館美術館(富山)
2001年 クロスランドおやべ−2001小矢部市特別企画展(富山)
2004年 ハウスアンルッツオープラッツ(ベルリン)

2006年 第1回鎌倉芸術祭・ギャラリーポラリス(神奈川)
2007年 クロスランドおやべ(富山)今日の小矢部立体造形展
2008年 7人の日本美術家展・各自個展 サンセビリーノ マルケ(イタリア)
2009年 METAL ART MUSEUM HIKARINOTAMI(千葉)
    
砺波市美術館「空間生態」変遷をたどる−点・空・面・地(富山)

2010年 富山県立近代美術館企画 太閤山ランドふるさとギャラリー&庭園(富山)
      
‘69、’70、’71、’72、’73、’74、’75、’76、’77、’78、’80、’84、’86、’88、’01、’02、’03、’06、’11年シロタ画廊

Carl Andre

ウィキペデイアより引用します。

カール・アンドレ(Carl Andre 1935年9月16日 - )は、20世紀のアメリカ合衆国の彫刻家、詩人。ミニマル・アートを代表するアーティストの1人。
生涯と作品[編集]
1935年 、マサチューセッツ州クインシーに生まれる。
1950年代よりコンスタンティンブランクーシの彫刻に影響を受け、『ピラミッド』(1959年)など木を組み合わせた立体作品を制作。
1958-59年、フランク・ステラとアトリエを共有し、当時のステラの直線や単色などの最小限に純化された画面構成に影響を受け、作品にとりいれるようになる。
1966年、耐火レンガをつなげて床に1列に置いた『レヴァー(てこ)』を発表。以後ブロックのほか金属、石など、素材を加工しないでそのまま床に広げた作品を発表し、彫刻の形態と配置に新しい可能性を開き、後の美術に影響を与える。アンドレの作品は、常に展示される空間を考慮して、現場で構想されており、展示空間のサイズ、採光などと関連を持った、サイトスペシフィックなインスタレーション作品となっている。

カール・アンドレの姿を見たのは1970年5月の東京ビエンナーレ「人間と物質」展の時です。「錆びの庭園」作品の錆びた鉄を持ち上げて動かしているところを撮影しました。
その後1988年にシカゴの美術館にある正方形の金属板を例えば6×6=36枚のように正方形に敷いた作品を見たことがあります。
後ろに松沢宥さんと岡田隆彦さんが写っています。

東京都美術館にて。彼の作品の部屋にて。


三橋徹著 「風景を読む旅」20世紀のアメリカのランドスケープより
コネチカット州ハートフォードダウンタウンにある「石の場」作品です。



その他、地面に這うように、伸びたり広がっていくカール・アンドレの作品です。


またWebで作品を見付けたら追加します。